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「季節のはがき」2017.10.24

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 上棟式


建築の礼式には、地鎮祭、龍伏の礼式、かなとこ始の礼式、清鉋(しゅほう)の礼式、立柱の礼式、そして上棟式と続き、最後は家移の儀で完結します。上棟式は建物の骨組工事が進み、棟木が取り付いたとき。これは、此処までの工事に無事を感謝するとともに、関係者の慰労を行う行事が一般的に認識されている上棟式です。
 
屋上に幣束を柱に掲げ、破魔の弓を飾り、塩、米、酒、四方餅を机に並べる。
 
博士杭を地面に打ち込み、綱を渡し、棟木を曳き上げる「曳き綱の儀」。
 
神徳を讃えこれまでの工事の無事とこれからの安全を祈願する祝詞奏上と続きます。
 
棟木を棟に納める「槌打ちの儀」、そして「散餅散銭の儀」の3つからなります。
 
職人の祭りとして、大工さんの棟梁がそのほとんどを行うのが、略式の上棟式となっています。
 
屋上の飾りについて説明します。
 
 破魔(はま)の弓 邪気を払うという意味です。(写真左手と右手に斜めに見えています。)鶴と亀があって、鶴を雅股矢(がまたや) 天の弓矢、南西の裏鬼門へ向かい天を指します。亀は地の弓矢 東北の鬼門へ向かい地を指します。
 
五色の幟、(写真の関係者の後ろに槍の飾り付けのある旗)諸葛孔明の築城の法に習い行うのが五色になります。中央は棟に位し、東は清龍、西は、白虎、南は朱雀、北は、玄武とし、中央4神の5位を現します。それが為、青は春と東を現し、赤は夏と南を、黄色は、中央、白は秋と西、紫は冬と北を表します。青、赤、黄色、紫、白、という順番で並びます。
 
「祝詞奏上」 神徳を讃えこれまでの無事安全を感謝しこれからの工事の安全を祈願します。
 
この時の神様は手置帆負命(ておきほういのみこと)、彦狭知命(ひこさちのみこと、屋久船久久遅命(やくふねくくちのみこと)、屋船豊宇気姫命(やくふねとようけひめのみこと)、と産土神(うぶすなの神)を加えて祀ります。
 
「槌打ちの儀」というのは、棟木を納める行為です。掛け声は大きく通る声で「千歳棟」、「万歳棟」、「永々棟」、と掛け声が上がり、槌おとがそれぞれ三回「とぉ〜ん、とぉ〜ん、とぉ〜ん」と骨組の完全を告げる意味を込め空間全体に響き渡ります。
 
「散餅散銭の儀」というのは、俵へ赤白の餅を入れ、屋上から集まってきた人に撒く、所謂もち撒きです。
 
 ありったけ用意した、俵や軍手やたわしを屋上からまき散らす式です。集まる人も沢山いる。子供から大人まで、期待して待っています。そこに投げるのですが、上から見ていると鯉の生け簀にえさを投げているようでした。でも場所によってはピラニアの集まる川に餌を投げている風です。お手伝いしてくれた、近所のおばさんたちのすさまじい殺気だった目と俊敏な動き、さらに威嚇の発言が怒涛のごとく階上に押し寄せたことを良く覚えています。あれは飢えた狼の必殺の瞳の集団でした。吠える言葉は、「こっちに投げろ!」「なにやってんだ!」「こっちだよ!みえてねえのか」「ぼけっとしねえではやくよこせぇ!」「こらぁどっちに投げてるんだぁ!」これが、お手伝いのおばさんたちの豹変した姿でした。顔は鬼が蛇に変わって大魔神が集団で登場です。おっかなかった思い出があります。中にはコタツ、自転車、テレビ、ラジオなどもおひねりに仕掛けて撒いたという話も聞いたことがあります。
 
上棟式雑感
 
さて、習慣上のこのまつりの共通点は、建築過程の基本構造が屋根棟まで完成したときに行うこと。
 
もうひとつは、関係者がほぼ全員集まるとう点があります。ほかにも現在の検査のタイミングとの共通点があります。この上棟式の機能の本来の目的は、職人の一段落という意味あい以上のものがあると考えます。私見ですが、村という共同体社会の検査機能であったように思います。たとえば、柱のほぞの向きが違っている、長さが足りない。梁に使う木材の使い形が反対、柱の上下が逆さまになっている。梁の断面が足りていない。その木は使う場所が違う。建物が傾斜している。等をみんなに見てもらうことにより、本当に確かなものであるのかを確認する意味も十分あったと考えます。村の中の家は格式もあるのですが、それ以上に家は、村の生産性を確かなものにする社会資本であり生産工場なのです。皆で検査し、是正、修正する村人一人ひとりの真剣な仕事であったということです。
 
 施主は、この自分の建物がほんとうに大丈夫なのかを、確認する意味で、上棟式を行い、共同体の掟としての検査をしたということなのです。日本の神様の「まつり」という機能の背景にある。大変、良い循環方法をとっていると思います。飲んだり喰ったり、喰わせたりして、自分の村の建物を造る大工さんを持ち上げたり、降ろしたりして、上手に作らせる目的もその中にある。
 
現在では、中間検査と言って、検査機関や保険会社がしたり、設計監理をつけて行います。
 
役所の担当者の1人の15分間程度の目も大切ですが、上棟式に参加参集する人の50人100人それ以上の約8時間に渡る、目も重要な要素であったと思います。集まってくる人の職業は違いますので、それぞれの視点が違うのです。従ってその上棟時の棟梁への質問内容も違います。作り手はかなり恐怖を感じるハズです。実際そうですから。数が多いだけ緊張感もあり、大工さんかは、特に感じると思います。お祝い金やお酒を届けただ飲んだり食ったりするだけの形骸化した姿ではなく、この建物が確かであるという保証を自らの責任で行った行事でもあります。
 
直会では、職方の座る順番も、家に拘わりあう順番で並びます。木曳きさん、基礎、とびさん、大工、屋根、左官、建具、畳やさん、時代とともに、請負の姿も世の中の意識も変わり、形骸化し、その意味を見失ってしまいました。
 
 ですから、笑顔で職人さんたちに、しっかりやってもらう意味でも、上棟式は必要であり、笑顔で圧力を掛ける、仕掛けでもあった分けです。飲んだりすれば、心がゆるんで、本音もまた出てきます。宗教を共同体のシステムで考えるなら、神道は習慣の中にあり、完成度の高い日本独特のものである訳です。集まる人の意識も、責任を取る覚悟の検査という意識は無くなっています。この現場での上棟式が終わると今度は棟梁送りとなって、鳶さんが木遣り唄いながら村中を行進して行き、棟梁の家まで進みます、そこで現場と同じ直会の膳が並び宴会が盛大に執り行われるという流れがありました。昭和55年くらいまであったと思います。
 
祝柱の幣束におかめの面がある理由。
 
記述は大報恩寺ホームページからの引用です。
 
京都大報恩寺の本堂は鎌倉時代の創建(1223)された国宝の建造物があります。
 
1223年 本堂を建立する際、現在の京都の上京区に長井飛騨守高次という大工の棟梁が大報恩寺の本堂造営の総親方に選ばれました。当時のことですから数百人の大工の親方となる訳です。尼崎の信徒から寄進されていた貴重な柱材4本の内、1本を誤って1尺あまり短く切ってしまいました。いまさら次ぎ足すことも出来ず、替わりの柱とて絶対入手は不可能、せっぱつまって苦しみ思いつめた高次を見て、提案したのが、妻の おかめ 短くなったものはしかたないから、全部の柱の上に桝組みをつけて、高さをおぎなったらいかがでしょうかと言った。それは明案だと言って、すぐに、残りの3本も短くして、その上の桝組みをつけたところ、予想以上に素晴らしい本堂が完成した。1227年盛大な落慶法要も済んで、名匠長井高次の名声は高くなりましたが、高次には、失敗した以上の心配が残りました。そしてある日、女房に向かって、お前は女だ、女の入れ知恵と解ったなら、親方としての私の面目はまるつぶれになる。といいました。奥さんは、私は女でも、親方の妻として、どうして夫の名を汚せましょう。それほど貴方が心配ならと言って、その夜、自殺してしまいました。長井高次もさすがに心に咎め、無き妻の名にちなんだ、おかめの面を、扇御幣につけて、飾り、この本堂の永久の安泰と冥福を祈り続けました。
 
この話を聞いた大工さんたちの感激は激しく、江戸中期(400年後)の冬、池水勧兵衛という大工さんが、本堂の脇におかめ供養塔を建立し、碑文を刻みました。現在もあるその塔は、ほうきょういん塔という仏教では最高の形式として今なお存在しています。
 
それ故、上棟式の柱におかめの面を着けた扇御幣を掲げるようになり、全国に普及していったものであると聴いています。
 
この話の似た話はあっちこっちにあるのですが、1223年のものが一番古いので、これをベースにして、脚色されたり、歪曲されたとも言われています。